二十四節気 明日香の風をお届けすること
奈良盆地の南東部「奥大和」に位置する明日香村
今はとても小さな村ですが、飛鳥時代にはいくつもの首都機能である都がおかれており、高松塚古墳や石舞台古墳などの歴史的遺産に加え、1400年にわたり守られてきた豊かな棚田や里山が今も受け継がれている「日本の原風景」といわれる場所です。
小野妹子を代表される遣隋使や百済・高句麗からの交流が盛んに行われ、海を越えて移り住んだ渡来人の知識や技術を融合させて日本の礎が築かれた、当時では最新の「国際都市」でもありました。
トブトリノ焙煎所は、その中でも飛鳥川の源流で「奥飛鳥」位置する稲渕集落。当時遣隋使と共に中国へ渡り、大化の改新に貢献した「南淵請安」先生の墓とされる丘の真下に位置します。
そして日本最古の歌集「万葉集」の発祥の地として和歌に詠われている風土や四季の移り変わりが今なお残る「日本人のこころ」を感じることができます。
「トブトリノ焙煎所」も持統天皇が詠ったとされる和歌から頂戴しております。
「とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらん」(持統天皇/1-78)
この明日香稲渕で僕たち日本人が、当時と同じく海を越えてきた「珈琲」を扱うことは何を意味するのかを考えたとき、それは
「異国の大切な贈りものを、日本人としての美しさや情緒と共にお届けする。」ことでした。
これがトブトリノ焙煎所としてお客様へご提供できることだと確信しました。
明日香の風と二十四節気
明日香村稲渕ははっきりとした四季の移り変わりがあり、夏は湿度が高く冬の寒さは芯から冷え込む。
焙煎所は昔ながらの古民家を改装しており
風通しが良く、冬は寒く、夏は暑い。
気候や環境によって大きく影響されやすい珈琲の焙煎において、とても厳しい環境。だからこそ「日本の四季を受け入れた珈琲」を作りたい。
一般的な珈琲焙煎のように過度に外的環境を整えるのではなく、明日香の自然「明日香風」と共に珈琲を作りたい、そう考えました。
暑くて蒸し暑いときも、
稲渕の棚田が黄色く色づき始めても、
寒くて手が悴みそうなときも、
庭の桜が春を届けてくれる時も
自然を管理しようとせず、ありのまま受け入れて珈琲を焼き続けます。だから珈琲にも「季節の移り変わり」を感じるかもしれません。
「今朝の霜」や「夏の蒸し暑さ」「鳥のさえずり」みたいな気配。
それらが風味として顔を見せるかもしれません。毎回味が違うじゃないか。そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん僕たちは現在持ちうる技術と知識を使って、いつもベストと思う珈琲を焼くように努力を惜しみません。お客様にご満足いただける珈琲を一生懸命作り続けます。
だからこそ全てを受け入れて、正直にお話しします。
極めてシンプルな袋には「日付・天気・気候・気温・湿度」と、飛鳥時代に暦と共に日本へ伝わってきたといわれる「二十四節気」を添えています。
二十四節気は古来から日本人の季節を表す言葉として、その時期の天候や動植物の様子をもとに名付けられています。
「春分」「大暑」「白露」「大寒」など。
これは目の前の珈琲を焙煎した「瞬間」とともに「明日香の風」を封じ込めている印(しるし)です。
「立夏、昼間、快晴、二十度、六十%」と書いてあれば「そろそろ夏の手前、蒸し暑くなる手前かな」
「雨水、早朝、凍て雲、五度、四十%」であれば「かなり寒いけれど、氷は解け始めたのかな」
忙しく過ぎていく日々のなかで、珈琲が艶やかで香ばしく焼きあがる情景ととに、明日香の季節と空気の彩りを感じられる「正直な」珈琲です。